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稲村ヶ崎砲台

 ここは神奈川県鎌倉市稲村ヶ崎。伏龍陣地と洞窟型の砲台があったようです。1999年10月24日の遺構探訪「三浦半島遠征」に於いて関東地区の残存砲台跡研究の第一人者であるネーモン氏と戦争遺跡研究の重鎮であるH.S氏と江ノ島砲台の次に訪れた場所です。

 この写真は伏龍陣地の出入口です。手前は相模湾です。ここから伏龍隊員が海に向かって出撃していく予定だったようです。伏龍とは兵士が機雷を棒に付けて潜水し、上陸用船艇を水中から攻撃する兵器です。大戦末期の泥縄式発想のお粗末で悲惨な兵器です。


 陣地の内部の様子です。洞窟内は全て素堀です。


 洞窟の天井にあったものです。三角形に彫り込んであります。恐らく照明のための凹みだと思われます。


 真ん中の小さな穴から漏れている光は国道134号線側からのものです。戦後ふさがれた穴が長年の歳月で一部崩れたため出来た穴と思われます。


 洞窟の奥では雨などで流れ込んだ土砂や洞窟の崩落によってかなり狭くなっている部分もありました。


 左下の柵が施してある穴は伏龍陣地の海に面している別の出入口です。一番上の写真の出入口はこの写真の更に左にあります。

 右上の穴は洞窟砲台です。カノン砲の砲台だったそうです。1998年まではコンクリート製の枠がありましたが、自然崩落したようです。崩落前の写真は米軍のコロネット作戦に対する日本軍の防衛でその頃の写真が公開されていましたが、2000年4月17日より公開が中止されました。


 白丸の部分に崩落した砲台のコンクリート製の砲台の枠があります。

参考文献: 
      WNN-WNN-History 歴史から学ぼう
      http://www.wnn.or.jp/wnn-history/kamakura/22.html

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制作 1999年12月11日