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三崎砲台

 ここは神奈川県三浦市南下浦町金田。1999年10月24日の遺構探訪「三浦半島遠征」に於いて関東地区の砲台跡研究の第一人者であるネーモン氏と戦争遺跡研究の重鎮であるH.S氏と供に武山砲台の次に訪れた場所です。数年前まではコンクリート製の砲台跡が残っていたようですが、現在は取り壊されて農地になっています。しかしそこから少し離れたところに砲台関連の施設の遺構が今回の遠征で確認されました。

 これはその遺構の全景です。何のための施設なのか全く判りません。近くで農作業をしていた方に聞いてみましたが、砲台関連施設の一部だという事以外は判らないようでした。


 その遺構の内部です。奥に見える丸いものは左上から斜めになっている配管です。もしかしたら排気口かもしれません。何か危険物の倉庫だったのでしょうか。

【000928追記】日本の要塞 の斎藤氏によると配管は伝声管ではないかという事です。この遺構は観測所ではなかったかと氏は推測しています。 


 配管の出口付近を撮影したつもりですが、雑木が生い茂って何がなんだか判らなくなってしまいました。


 横から見た様子です。小型の掩体壕のようにも見えます。


 砲台の入り口にあった門柱です。砲台は手前にありました。

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制作 2000年5月20日